東京の思い出6 BASICが大好きすぎる現場

( ´_ゝ`)ノシ

yoshitiaです。

気づいたら2年近くブログ更新してなかった。

 

2016年9月、開発ツール改修の案件。

 

ある現場でコード改修を行う際その範囲を書類として申請をするらしいので書類提出と同時にバージョン管理ツールの操作まで連携するツールが必要とのこと。


現行はVBAシェルスクリプトの組み合わせ。それをVBAとbatファイルの組み合わせにするらしい。

シェルスクリプトならそのままでいいと思うんだけどなぁ。

何かにつけBASICやVBに類するものを使いまくってた現場だった。

 

今回は他の会社からVBAの経験がある人と一緒にアサイン。

私はVBAの経験は浅いがシェルスクリプトとbatが書ける辺りで決まった。

作業のほとんどはVBAのコードを書いていた。


想定外だったのは、VBAができると入ってきた方が、1ヵ月たってもツールを1つも完成させられない腕だったこと。

よくわからないが、以前の現場で覚えたコードの書き方に執着していたようだ。

あの様子だとVBAの経験があると言うよりは

開発のプロダクトに直接関係ないVBAのコード以外は任せられなかったと言うところが本当じゃないかなぁ。

その結果、私の契約が1ヵ月伸びた。

 

VBAのコードでグローバル変数と再利用の頻度が高い関数のモジュールを作り

ログ出力、コマンドプロンプトでのコマンドを実行周りを再利用しやすいようにモジュール作ったら結構現場に喜ばれた。

振り返ってみると、コーディングの力をつけると言う点ではなかなか良い現場だったんじゃないかなと思う。

辛かったのは開発用PCが外部ネット接続不可なこと、VBA書くのにVBEと秀丸エディタしか使えなかったことかなぁ。

 

2016年はこの案件で12月まで、2017年からは次の案件に。

東京の思い出5 最低のマシン、快適な仕事

( ´_ゝ`)ノシ

yoshitiaです。

 

2016年6月、

BIツール移行の案件が始まった。

 

BIツールってのは業務分析ツールのことで

事業に関しての各種データを

極力リアルタイムで

経営判断に使える形で取り出せるようにしておくやつ。

 

BIツールの昔からの課題として

これを必要とする規模の企業の事業データを利用しようとすると

DBが1つや2つでは足りないことがあるみたい。

 

今回の移行はBIツールのような用途に特化した

DWH(データウェアハウス)と呼ばれるタイプのDBで

BIツールの運用を切り替える。

 

現行のDBはOracle

移行DBは別のもの。

現行で利用しているPL/SQL

SQLに書き換えるのが仕事だった。

 

割り当てられたWin7PCは

RAM2GB。

おそらくはWindowsXP時代のPCを

Win7にアップグレードしたんだろうそれ。

 

開発用のメインPCとして割り当てられた中で

2021年の今まで一番貧弱なマシンだった。

だが、今までで一番快適だった。

 

というのは作業はずっとteratermの黒い画面。

資料のExcelは開く時や編集時は重いが

teratermを使ってる間は開いてるだけなので

そうストレスにはならなかった。

 

ひたすらSQLファイルとそれを扱うシェルスクリプトを書いていた。

楽しかった。

 

マシン以外に驚いたのは同じ作業に参加してたプロパーさんのやり方。

もうVSCodeも登場してる時期なのに、

ネストが深くて長いコードを読むために

シンタックスハイライト等の視覚的な支援機能を使わずに

コードを紙に印刷して

赤ペンでネストやコードの塊を区切って読んでいる・・・。

 

見かねて、

サクラエディタVSCode使えば

紙にコード印刷しなくても良くなって便利ですよ?

とは言ってみたものの後日やり方を変えた様子はなかった。

 

入って1ヶ月で気づいたのは

この現場はやたら必要な機材の見切りやスケジュール調整が上手かった事。

マシンは経費削減といった目的でなく作業に十分な性能のものを用意。

紙にコード印刷するやり方もクライアントとスケジュール調整が出来ていてこのやり方でも十分に間に合うからだ。

 

よくIT系界隈だと

作業に対して必要な性能が不足しているPCやネットワーク機器の使用を強いられる事を指して"ボロボロの斧で木を切る"と例えられる。

この現場はそういう斧しかない場合なら斧なりに納期を調整するように見えた。

 

かなり特殊ではあると思うが

やり方が旧態依然でも押さえる所押さえていれば

要らない苦労もなく十分に目的を達成できるのだという知見を得た。

 

2016年8月で一通り仕事は完了。

最後に聞いた所によると予定より半月早く終えることが出来たと。

やっぱり紙にコード印刷してたら遅くなるよなぁ・・・。

 

2016年9月から次の案件が決まった。

東京の思い出4.5 よくわからない日々

( ´_ゝ`)ノシ

yoshitiaです。

 

4月と5月の話があるよ。

 

2016年の4月。

営業さんから所属を勧められた会社があり

次の案件までの空きの間顔を出していた。

 

ここでベテランエンジニアのWさんと

初めて顔を合わせたと思う。

 

色々教えてもらおうと思い

( ´_ゝ`)「何かご存知のwebフレームワークありましたら

使い方教えてください。」

と声かけたら

W「webフレームワークって言っても

結局ライブラリの集合体なんだから

特別教わるようなものでもないでしょ?」

( ´_ゝ`) 「アッハイ」

とぶった切られた。

 

アプリケーションフレームワーク

結局人の作ったライブラリを

作った人が決めたルールで使うと

アプリの開発の手間が減らせる。

極論色んなプログラミング言語

printやprintf等を利用する延長線上にあるものでしょ?

というのを圧縮言語で回答されたわけだ。

 

( ´_ゝ`)(すごすぎて参考に出来ないタイプ・・・)

 

屁理屈こねて逃げてるってわけでもなくて

私とは別に入った現場で初めてのC++Pythonサクッと覚えて

組み込み開発バリバリやってたっていう50代・・・。

その歳で新しいものでも物怖じせずに戦えるとかやべー。

 

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2016年の5月。

繋ぎで変わった案件に関わった。

 

Tシャツを扱ってるアパレルだったと思う。

そこの新規事業を行う際の課題解決。

 

参加者に番号を割り振るようなイベントで

番号をシャツにプリントしたい。

しかし、現状だとプリント用画像に

番号を被せる作業が1つ1つ手作業になってしまう。

そこを自動化出来ないか?

という内容だった。

 

お客さんの使ってるソフトがAdobeのIllustlator。

調査の結果、サードパーティの有償プラグイン

実現可能なことがわかった。

 

次に営業さんの指導で

実際にこの事業を行う時の仕事の流れを

いらすとやさんのイラスト付けたイメージ図を作って

プレゼンというか説明+プラグインのデモ。

 

やはり本職の皆さんは理解が早くて

自動化で番号を貼り付けた時に

見た目が微妙になりにくくする工夫をすぐに思いついていた。

 

最後まで付き合って結果まで見たかったのですが

6月からの案件が決まり、5月も下旬に入っていたので

Wさんに実装や設定以降を引き継いでもらった。

 

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タイトルのよくわからない、というのは

本当になんだかわからない内に

営業さんから所属を勧められた会社が無くなっていたからorz

 

2016年の6月。

ポケモンGOが話題になっていた時期だったと記憶している。

 

 

 

東京の思い出4 はじめてのフリーランス

( ´_ゝ`)ノシ

yoshitiaです。

 

2016年の2月に次の案件が決まった。

Javaのwebアプリ移行。

ベテランの人とセットで現場入り。

 

Javaを扱うと思いきや

実際に扱ったのは

ビルドのAntスクリプト

weblogic(tomcatの同類)の起動スクリプト

 

DB回りはベテランの人担当。

Pro*Cが山程使われてた・・・。

 

Antスクリプトでビルドの構成に手を入れて

1つのwebアプリにトップ画面2つにしてDBはそれぞれ別に繋げるという

よくわからない要求が出た。

 

サーバ2つにするなりwebアプリ2つ起動させた方が

良いのでは?と提案したら

Javaプロセス1つでこれをやりたい、と。

 

結果で言うとなんとか出来た。

html・css・js辺りまでなんとか。

当時の私エライ。

 

おまけでVB.netのwebアプリ移行もやった。

 

オチは順調に行き過ぎて3ヶ月の所を

2ヶ月で契約\(^o^)/オワタ

 

次の案件は2016年6月から。

東京の思い出3.5 ウソ、私の給料安すぎ・・・?

( ´_ゝ`)ノシ

yoshitiaです。

 

このシリーズ、1つの現場ごとに書いてますが

これは現場の話じゃないんで0.5で。

 

2015年12月、研修の先生と飲み会に行った。

そこで今も世話になってる営業さんに出会った。

なんでも若い頃はUNIX Cでバリバリのコードを書いていたそうで。

営業とは言っても

企業に課題をヒアリングしてプロジェクトの提案をして案件を作るような

つよつよなタイプ。

 

ざっくり近況などを話した後、

カーナビの案件での手取り額を話したら驚かれた。

どうも話してる中で予想していた、

私がもらっていそうな相場からかなり外れていたようだ。

 

そこから次の案件を探して紹介してくれる話になった。

提示された額は手取りベースで倍くらいだった。

 

次の現場は2016年の2月に決まった。

東京の思い出3 ( ゚∀゚ )( ゚∀゚ )

( ´_ゝ`)ノシ

yoshitiaです。

 

今回は長いです。

2014年の8月、新しい現場が決まりました。

 

カーナビの地図データ不具合対応。

製品の不具合を確認して

原因がデータかソフトか切り分ける仕事でした。

 

割と覚えてる仕事は

アラビア語圏向けのデータのテキスト確認のために

アラビア文字を覚えたこと。

( ´_ゝ`) 「アラビア語読めないんですが」

( ・∀・)(『旅行で使うアラビア語会話』みたいな本を出して』)

「覚えてください」

---1ヶ月後---

( ´_ゝ`)「とりあえず辞書は引けるレベルにはなりました」

( ・∀・)「え?マジで覚えたんですか・・・?」(割と天然)

/   //   /   //    ______     /   //   /
 / //   /|   r'7\ ,.ヘ‐'"´iヾ、/\ニ''ー- 、.,   /    /
  /   / |  |::|ァ'⌒',ヽ:::ヽrヘ_,,.!-‐-'、二7-ァ'´|、__
`'ー-‐''"   ヽ、_'´  `| |:::::|'" ( ´_ゝ`) 二.,_> ,.へ_
         /  //__// / / /      `ヽ7::/
 か あ 覚  |  / // メ,/_,,. /./ /|   i   Y   //
 ァ  な え.  |'´/ ∠. -‐'ァ'"´'`iヽ.// メ、,_ハ  ,  |〉
  |  た ろ  ヽ! O .|/。〈ハ、 rリ '´   ,ァ=;、`| ,ハ |、  /
  |    っ   >  o  ,,´ ̄   .  ト i 〉.レ'i iヽ|ヽ、.,____
  |     て  /   ハ | u   ,.--- 、  `' o O/、.,___,,..-‐'"´
  |    言  |  /  ハ,   /    〉 "  ヽ!  /
  |  じ  っ  |,.イ,.!-‐'-'、,ヘ. !、_   _,/ ,.イヘ. `  ヽ.
 ッ .ゃ .た   |/     ヽ!7>rァ''7´| / ',  〉`ヽ〉
 ! ! な  の   .',      `Y_,/、レ'ヘ/レ'  レ'
   い  .は    ヽ、_     !:::::ハiヽ.   //   /
   で      ./‐r'、.,_,.イ\/_」ヽ ',       /  /
   す      /    `/:::::::/ /,」:::iン、 /    /
          〈  ,,..-‐''"´ ̄ ̄77ー--、_\.,__  /
      ,.:'⌒ヽ ´         | |  , i |ノ   `ヾr-、


多分仕事が続けばキリル文字とかタイの文字とかも覚えようとしたんだろうなぁ。
この頃にEmacs覚えました。
アラビア文字と日本語混ぜてテキストいい感じに打てるエディタ他に知らなかった。

次が
テキストデータ変換ツールの不具合調査。

perl版は読みにくい部分さえクリアしたらなんとかなった。

問題はVC++版(新し目の製品に使われてた)。

( ´_ゝ`)「Visual Studioくだちい」

(#゚Д゚)ゴルァ!!「ライセンス用意できないからだめだ!」

 

(#゚Д゚)ゴルァ!!はこの案件を紹介してくれた会社のプロパーで

わかりやすく( ´_ゝ`)が地図データ不具合対応の範囲から外れる仕事を

受けるのを嫌がってたので

その気になったらVisual Studioのライセンスくらい手配できるのを

渋ったんじゃないかと今でも疑ってる。

結局、Vim+cscopeで調査した。

この時(#゚Д゚)ゴルァ!!は執拗に進捗確認求めていたなぁ・・・。

 

もう一つが

製品のテキストデータの調査。

あるファイルのidと

関連するデータを別ファイルと突き合わせたデータが必要になった。

そのデータ作成処理をrubyスクリプトで用意した。

複数台のPCで3日くらいかかったなぁ・・・。

 

その他色々あって

2015年の12月、2度目の納会の日にこの現場を終えました。

本格的にコード書けるような仕事をゲットできる見込みが立たなかったのが一つ。

(#゚Д゚)ゴルァ!!さんにはフォローなども多々頂いたのですが

部下を仕事投げたら成果物を吐き出してくれる

高性能プリンターか何かと思ってる態度を隠そうともしないのに耐えられなかったのが一つでした。

 

なお現場を辞める事を話したら

(#゚Д゚)ゴルァ!!「オメー見てーな役立たず、拾ってくれるところなんざ滅多にねーんだから次が見つかったらそこを大事にしろよ( ゚д゚)、ペッ(意訳)」

という定番セリフをトドメに吐かれました。

 

そりゃあ私のポジションの前任者、web系に行きまーす(棒)で脱出したわけだ。

 

自分に都合の悪い過去の言動は忘れる幸せ脳のようなので

再会することがあってもまぁ覚えてないだろうなぁ。

 

2015年12月、新宿の会社は今回の現場で仕事している期間の内に無くなっていた。

次のアテはないが沖縄に帰った所で仕事のアテもなかった。

そんな中、沖縄の研修の先生が飲み会に誘ってくれた。

本職が東京で現役のエンジニアで研修後も連絡を取り合ったりしていたのだ。

 

この年末の居酒屋でつながったご縁が今も続いている。

東京の思い出2 最初の案件

( ´_ゝ`)ノシ

yoshitiaです。

 

2014年の3月、研修を主催していた会社の1つから

東京で働く誘いがあったのでそれに乗りました。

 

新宿を拠点にしていて

受託・SES両方やってた会社だったと思う。

 

電車一本で行けるように西武新宿沿線に部屋を借りた。

軽量鉄骨ってタイプの建物だった。

 

最初の案件はSES、テスター。

保険関係のシステムだったかな。

今でも時々ネタにしている。

外部ネット接続ができなくて

サクラエディタが見つかるまでの2ヶ月間(!)は

Excelとメモ帳しかなかった。

大体3ヶ月、夏までには終了していたと。

 

Excelの使い方も下手で

今の知識があればVBAで作業支援のショートカットくらいは

作っていたとかな。

もう同じ条件の案件があっても受けないだろうけど。

 

2014年8月まで数ヶ月待機が続く。